2009年07月02日

院内銀山などの鉱山開発が進んで

このような経済の発展は、院内銀山などの鉱山開発が進んで金・銀・銅が大量に生産され、それと引き替えに海外の物資が大量に日本に入り込んだためでもあったが、18世紀に入ると減産、枯渇の傾向がみられるようになった。それに対応したのが新井白石の海舶互市新例(長崎新令)であった。彼は、幕府開設から元禄までの間、長崎貿易の決済のために、金貨国内通貨量のうちの4分の1、銀貨は4分の3が失われたとし、長崎奉行大岡清相からの意見書を参考にして、この法令を出した。その骨子は輸入規制と商品の国産化推進であり、長崎に入る異国船の数と貿易額に制限を加えるものであった。清国船は年間30艘、交易額は銀6000貫にまで、オランダ船は年間2隻、貿易額は3000貫に制限され、従来は輸入品であった綿布、生糸、砂糖、鹿皮、絹織物などの国産化を奨励した。

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8代将軍となった徳川吉宗は、紀州徳川家の出身であり、それまで幕政を主導してきた譜代大名に対して遠慮することなく、大胆に政治改革をおこなった(享保の改革)。吉宗が最も心をくだいたのは米価の安定であった。貨幣経済の進展にともない、諸物価の基準であった米価は下落を続け(米価安の諸色高)、それを俸禄の単位としていた旗本・御家人の困窮が顕著なものとなったからである。そのため彼は倹約令で消費を抑える一方、新田開発による米の増産、定免法採用による収入の安定、上米令、堂島米会所の公認などをおこなった。「米将軍」と称されたゆえんである。それ以外にも、財政支出を抑えながら有為な人材を登用する足高制、漢訳洋書禁輸の緩和や甘藷栽培の奨励、目安箱の設置その他の改革をおこなった。幕府財政は一部で健全化し、1744年(延享元年)には江戸時代を通じて最高の税収となったが、年貢税率の固定化やゆきすぎた倹約により百姓・町民からの不満を招き、折からの享保の大飢饉もあって、百姓一揆や打ちこわしが頻発した。このように、土地資本を基盤とする反面、土地所有者ではない支配者層という独自な立場に立たされた武士の生活の安定と、安定成長政策とは必ずしも上手く融合できずに、金融引き締め的な経済圧迫政策がを打ち出されて不況が慢性化した。

2009年06月13日

数理物理学は、数学と物理学の境界を成す科学の

数理物理学は、数学と物理学の境界を成す科学の一分野である。数理物理学が何から構成されるかについては、いろいろな考え方がある。典型的な定義は、Journal of Mathematical Physicsで与えているように、「物理学における問題への数学の応用と、そのような応用と物理学の定式化に適した数学的手法の構築」である[1]。

しかしながら、この定義は、それ自体は特に関連のない抽象的な数学的事実の証明にも物理学の成果が用いられている現状を反映していない。このような現象は、弦理論の研究が数学の新地平を切り拓きつつある現在、ますます重要になっている。

数理物理には、関数解析学/量子力学、幾何学/一般相対性理論、組み合わせ論/確率論/統計力学などが含まれる。最近では弦理論が、代数幾何学、トポロジー、複素幾何学などの数学の重要分野と交流を持つようになってきている。

数理物理学にはいくつか独立した領域があり、特定の時代とおおよそ対応する。偏微分方程式論(及び変分法、フーリエ解析、ポテンシャル理論、ベクトル解析など)は、数理物理学に最も関連の深い領域であるといえる。これらは(ジャン・ル・ロン・ダランベール、レオンハルト・オイラー、ジョゼフ=ルイ・ラグランジュなどによって)18世紀後半から1930年代までに集中して構築された。これらの物理的応用には、流体力学、天体力学、弾性理論、振動理論、熱力学、電磁気学、空気力学などが含まれる。

原子スペクトルの理論、(及び後の量子力学)は、線型代数学、作用素のスペクトル理論、さらには関数解析学などの数学的分野とほとんど同時に発展した。これらは数理物理学の別な領域を構成している。

特殊相対性理論、一般相対性理論は、若干異なった種類の数学を必要とする。群論は場の量子論や微分幾何学において重要な役割を果たしたが、しだいに宇宙論や場の量子論の数学的表現としてのトポロジーによって置き換えられた。
更年期障害
映画音楽
アルツハイマー病
オリエンテーリング
関節炎
人間工学
甲状腺疾患
環境工学
タップダンス
機械工学
原始時代
いざ・鎌倉時代
世界の建築
季節のこよみ
月の物語
湯・山梨
外国の物語
果実で美!
オレンジ活用
掃除秘伝

統計力学は、より数学的なエルゴード理論や確率論の一部と深く関連している。

用語としての'数理物理学'の使い方は、人によって異なることがある。物理学の発展から生まれた数学は、他の関連領域と異なり、数理物理学の一部とはみなされないこともある。例えば、力学系や解析力学は数理物理学に属するのに対して、常微分方程式やシンプレクティック幾何学は純粋に数学的な領域と考えられている。


2009年06月09日

疾患・疾病・病気と「症候群」

医学では、「病気」という単語はあまり使用されず、代わりにより厳密な疾患(しっかん)、疾病(しっぺい)を使うことが多い。「病気」という語では内因性の疾患しか含まないような印象を受けることがあるためである(事故による骨折は、一般的には病気とは言わないことが多い)。

症候群(しょうこうぐん)は、原因不明ながら共通の病態(自他覚症状・検査所見・画像所見など)を示す患者が多い場合に、そのような症状の集まりにとりあえず名をつけ、扱いやすくしたものである。人名を冠した症候群の名前も数多く、原因が判明した場合にはその名前が変更されたり、時には他の病名と統合されたりすることがある。

一方で原因判明後も長い間そのまま慣用的に使われている「症候群」は多く、逆に「?病」の名を冠する原因不明の疾患も多くあり、実際には明確な区別がなされていないことが多い。

原因が判明したにもかかわらず「症候群」と呼ばれている疾患の例
重症急性呼吸器症候群 (SARS)、後天性免疫不全症候群 (AIDS):いずれもウイルス感染が原因の単一疾患であることが判明している。
ダウン症候群:第21染色体のトリソミー(1対2本あるべき染色体が3本ある)による。近年では21トリソミーと呼ばれることも増えた。なお、18トリソミーは別名「エドワード症候群」であったが、こちらはあまり使われない。
原因不明、単一疾患であるかも不明ながら、「?病」と呼ばれる疾患の例
川崎病:小児の急性熱性疾患。原因不明。散発的に流行することから感染の関与が疑わしい一方で、症状の程度や検査所見の傾向にばらつきが大きく、単一疾患であるかも疑わしい。
ベーチェット病:膠原病類縁疾患。特定のHLAに関連することが多いことはわかっているが、原因は不明。

症状(しょうじょう、symptom)は、病気によって患者の心身に現れる様々な個別の状態変化、あるいは正常からの変異のことである。病気にかかることを罹患(りかん)、症状が現れることを発症(はっしょう)または発病(はつびょう)という。患者本人によって主観的に感じられるものを自覚症状(じかくしょうじょう)、周囲によって客観的に感じ取られるものを他覚症状(たかくしょうじょう)と呼んで区別する。単に「症状」といった場合、自覚症状のことのみを指す場合があり、この際は他覚症状のことを所見(しょけん)、徴候(ちょうこう)と呼んで区別する。

通常、「疾患」と「症状」は本来大きく違う概念だと考えられている。つまり、疾患が先にあって、それを受けて「症状」が生じる、というものである。しかし日常診療の場では、症状が確認されても、その症状を来たす原因がよく分からない場合が多く、この場合「症候群」での例と同様に、症状名と病名との境目が曖昧になることがある。

例えば、脱水という病名はないが、脱水が見られたら原疾患はさておき脱水の診断の元に治療を行うことがある。近視は症状の名前としても病名としても使われる。本態性高血圧という病名は、別の基礎疾患があって二次的に高血圧となっているものを除いて、原因不明で高血圧という「症状」を起こしているものをまとめて含めるための「病名」である。

ある臨床像が、原疾患に見られる症状のひとつであるのか、あるいは合併症として出現した別の独立した疾患なのかについては、医学の教科書を執筆する際の問題となるだけではなく、保険診療報酬や統計にも関わるため、軽視できない問題となる。
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症状を研究する医学の一分野に、症候学がある。

病気でいることによって、本人が得られる利得。周囲の気遣いを受けられる、弱者・被害者でいたり、他者に依存できたりする。たとえば、「あなたは病気でない」と言われて怒る者は、病気利得を得ようとする要素を持つ可能性が高い。

依存や嗜癖を続けることによって得られる利得。薬物依存症では麻薬・覚せい剤・大麻・タバコなどを繰り返し乱用し続けることによって、不快な禁断症状を刹那的に和らげることができる。さらに、依存している間は、依存による現実の害に直面して不安を感じなくて済み、刹那的であっても快楽をえられるなどの利得がある。依存症・嗜癖者の語る否認は、依存利得を得る目的で行われる。

学校・仕事を休める、公的な補助金を得られる、などの利得を得られる。詐病による公務員の長期欠勤が批判を浴びたことがある。

病人として大切にされるという病気利得を得るため、病状などについて虚偽を並べ立てる。精神疾患の一種

古くは病気は鬼のせいだとか、キツネの魂が人間に宿るためだとかと考えられていた。そのため古くは病人が出ると、病気を治癒させるために神に仕える人を呼んで病人にお祓いをやってもらうということが行われていた。
当然現代の日本ではそのような習慣はないのだが、病気をしないように(鬼が来ないように)節分の豆まきなどするという習慣が現代の日本に残っているものもある。

2009年04月25日

モーセ

モーセ(ヘブライ語: Mōšeh、ギリシア語: ラテン語: Moyses, Moses、アラビア語: Mūsā)あるいはモーゼは、旧約聖書の『出エジプト記』などに現れる紀元前13世紀ごろ活躍したとされる古代イスラエルの民族指導者。ユダヤ教・イスラム教・キリスト教およびバハーイー教など多くの宗教において、もっとも重要な預言者の一人とされる。伝統的には旧約聖書のモーセ五書(トーラー)の著者であるとされてきた。

『出エジプト記』によれば、モーセはエジプトのヘブライ人家族に生まれたが、新生児を殺害することを命じたファラオの命令を逃れるためにナイル川に流され、王族に拾われて育てられたという。長じてエジプト人を殺害し、砂漠に隠れていたが、神の命令によって奴隷状態のヘブライ人をエジプトから連れ出す使命を受けた。エジプトから民を率いて脱出したモーセは40年にわたって荒野をさまよったが、約束の土地を目前にして世を去ったという。
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『旧約聖書』の『出エジプト記』によれば、モーセはイスラエル人のレビ族の父アムラムと母ヨケベドとの間に生まれ、兄アロンと姉ミリアムがいた[1]。当時、イスラエル人はエジプトで奴隷として使役されていたが、モーセは数々の妨害を打破して、彼らをエジプトから連れ出すことに成功した。シナイ山(あるいはホレブ山)で神から十戒を授かってイスラエル人に与えたので、立法者と呼ばれている。モーセとイスラエルの民は、40年もの間シナイ半島の荒野をさまよい、約束の地カナンにたどり着くが、モーセ自身はカナンを目前にして120歳で没したという。『出エジプト記』はモーセの誕生に筆を起こし、エジプト脱出と十戒および律法の制定に終わっている。

『出エジプト記』によれば、モーセが生まれた当時、イスラエル人が増えすぎることを懸念したファラオはイスラエル人の男児を殺すよう命令した。出生後しばらく隠して育てられたが、やがて隠し切れなくなり、葦舟に乗せてナイル川に流された。そこへファラオの王女(一説にはハトシェプストとも言われる)が通りかかって彼を拾い、水からひきあげたのでマーシャー(ひきあげる)から「モーセ」と名づけた。

成長したモーセは同胞であるイスラエル人がエジプト人に虐待されているのを見てエジプト人を殺害。ファラオの手を逃れてミディアンの地(現在のアラビア半島)に住んだ。ミディアンでツィポラという女性と結婚し、羊飼いとして暮らしていたが、ある日燃える柴のなかから神に語り掛けられ、イスラエル人を約束の地(聖書中では「乳と蜜の流れる地」と言われている。現在のパレスチナ周辺)へ導く使命を受ける。こうして彼の預言者としての活動が始まる。

エジプトに戻ったモーセは兄アロンとともにファラオに会い、イスラエル人退去の許しを求めたが、ファラオは拒絶し、なかなか許そうとしなかった。そのため十の災いがエジプトにくだり、ようやくイスラエル人たちはエジプトから出ることができた。それでもファラオは心変わりして軍勢を差し向けるが、葦の海で水が割れたため、イスラエル人たちは渡ることができたが、ファラオの軍勢は海に沈んだ(『出エジプト記』14章)。その後、モーセはシナイ山で神(大天使ミカエルと言う説あり)から石版2枚の十戒を受けた。

『出エジプト記』に続く『レビ記』『民数記』『申命記』はその後のモーセの生涯と律法の内容について記している。モーセはイスラエル人を導いて荒野を通って土地の王たちとの戦いを経つつ、カナンの地へ至った。しかし、カナンを前に民が神とモーセに不平を言ったため、神はさらに40年の放浪をイスラエル人たちに課す。

モーセもまたメリバの泉で、神の命令に従わなかった(岩を杖で二度打った)ことにより、カナンの地へ入ることを許されなかった。40年の期間が満ちたとき、モーセは民に別れのことばを残した[3]。そののちモーセはピスガの山頂で約束の地カナンを目にしながら世を去った。その墓所は伝わっていないとされている。没年齢は120歳

2009年04月07日

インディーズ・メタルブーム-

1980年代後期 -インディーズ・メタルブーム- [編集]
この頃に有名だったインディーズのヘヴィメタルバンドは、REACTION、MEPHISTPHELESS、DEAD END、X、CASBAH、HELLEN、DEMENTIA、JURASSIC JADE、JEWEL、MURBAS、UNITED、URGH POLICE、TILT、SNIPER、OUTRAGE、PRESENCE、MEIN KAMPF、SAVER TIGER(横須賀)等がロッキンf誌で挙げられている。

これらのバンドで後にメジャーシーンでのデビューまで辿り着けたのはREACTION、DEAD END、X、OUTRAGE、UNITED、TILT、PRESENCEくらいで、特に大成功を収めたのはXであり、デビュー前のXの評価はDEMENTIA、SAVER TIGERと共に「関東三大粗大ゴミバンド」とありがたくない評価を受けていた。その他のデビューしてないバンドのメンバーには、MURBASには廣瀬洋一、URGE POLICEには吉井和哉と言った後に大成功を収める「THE YELLOW MONKEY」のメンバーが在籍していたり、DEMENTIAにはX - LOUDNESS - DTRの沢田泰司や現UNITEDの吉田“HALLY”良文(g)や後のHOWLING BULL初代代表取締役社長小杉“GEESS”茂が在籍、JEWELには後にmedia youthやhideのバンドに参加したKIYOSHIが在籍、MEIN KAMPEには後にCRAZEの加入する藤崎賢一やAIONを結成するIZUMIが在籍、HELLENには後に六三四Musashiに加入し、アニメ業界でも活躍する高梨康治が在籍していた。

また、MEPHISTPHELESSは1987年に解散しているが、2001年に再結成した際にVAPよりアルバム「METAL ON METAL」でメジャーデビューしている。

1980年代後期 [編集]
1989年、ラウドネスから二井原実が解雇され、アメリカ人ボーカリストの「マイク・ヴェセーラ」が加入した。ボーカルが交替したラウドネスはアルバム「SOLDIER OF FORTUNE」をリリースする。期待を集めたものの、プロモーションに際してバンドの顔であるボーカルが日本語を話せないという大きな難があった事も悪影響したか、セールス的には失敗となってしまう。

アンセムは1987年に脱退した坂本英三に代わり森川之雄が加入し、またこの時期から音楽性の幅が広がっていったが人気が鈍化しており、やはり興行面という意味においての苦戦が続いていた。

他方、この時期にバンドブームが起きる。ヘヴィメタルバンドも例に漏れず、例えば関東ではプロージョン系(ライヴハウス「エクスプロージョン」を中心に活動するバンド等を意味する)や鹿鳴館系(ライヴハウス「鹿鳴館」を中心に活動するバンド等を意味する)などと主に女性ファンから呼ばれ、どのライヴハウスも女性客で溢れ返った。そして、1989年にプロージョン系の一番人気であったXがメジャーデビューを果たす。当初はヘヴィメタルの範疇として扱われていたが、これが後々のヴィジュアル系に繋がってゆく。中心人物であるYOSHIKIは当時、ロッキンfやBANDやろうぜ等の音楽雑誌に「Xがテレビに出演する理由」という内容のFAXを各音楽誌編集部に送っていたが、そのXのパフォーマンスが音楽的知識を持たないテレビや女性週刊誌などで興味本位的に取り扱われた事が原因で、それまでヘヴィメタルという言葉さえ知らなかった世間一般には、ヘヴィメタルの人たちは染髪している、ガリガリに痩せていなければならない、やたら火を吹く、といった誤ったパブリック・イメージが形成される事となった。

これらの誤解と無理解と流行、これによって音楽業界が抱えた問題とは裏腹に、Xの人気はうなぎ上りになってゆく。だが、結局のところ、Xのファンの性質や傾向などを鑑みた場合、Xの音楽性はヘヴィメタルとして認知されたというよりは、『Xというバンドの音楽』という形で認知されていた割合が小さくなく、Xによるヘヴィメタルというジャンルへの波及効果は決して大きいものではなかった。しかし、Xの凄まじい人気沸騰ゆえに一般大衆がヘヴィメタル全般に抱いた大きな誤解は、メタルの世界にとって深刻なものであった。

果たして、この時期以降、初期の聖飢魔II、X、さらにXの影響を受けた初期ヴィジュアル系の様な偏ったイメージをさらに誇張表現した様なキャラクター様式が、漫画やドラマでヘヴィメタルを表現する際の視覚的フォーマットとして定着してしまっている。2000年代に入ってからでも、やや極端なギャグ漫画ではあるが「デトロイト・メタル・シティ」がこのフォーマットを利用して作品の形成と人気獲得に成功している。

1990年代 -冬の時代- [編集]
世界的にはグランジのブームであったが、日本に限ればヴィジュアル系の全盛期の幕開けでもあった。

1992年、元EZOのMASAKIと、元XのTAIJIこと沢田泰司がラウドネスに加入し、ラウドネスの音楽性はパンテラのような過激な楽曲に変貌した。それにも関わらず、その話題性の高さでオリコンチャートでは初登場2位という記録を打ち立てたが、1990年代前半を見渡しても、明るい話題はこれ位である。全体を見渡せば、Xの影響を受けて雨後の筍の如く次々と登場したヴィジュアル系バンドが全盛を極め、その勢いに呑まれる形でライブハウスもまたビジュアル系中心の興行となってゆく。これとは対照的に、メタルバンドはCDセールスもライブの観客動員も全般的に伸びなくなり、邦楽メタルシーン全体にとってのこの時期は氷河期とまで言われた暗黒時代になってしまった。

1990年代に入ってからの邦楽のメタルはジャンル全体として衰微傾向が顕著となり、1990年にVOW WOW、デッドエンド、E.Z.O、1992年にアンセム、1993年にBLIZARD、1994年にアースシェイカーと、1980年代のメタルシーンを第一線で支えたバンドが次々と解散してゆく。すぐは解散しなかったもののSHOW-YAはサウンドの中核といってもよかったボーカルの寺田恵子が1991年に脱退、新ボーカルを迎えたもののセールス的に退潮傾向を止められず、インディーズに場を移したものの全盛期の輝きは戻らず結局1998年に解散。

新進のメタルバンドについても苦難の時代となった。本来メタル系の音楽を志向・追求していたものでも、メジャーデビューを目指すにあたってはその販売戦略上の各方面からの要求などでヴィジュアル系に近い路線を取らざるを得ず、音楽性・ルックスすらもヴィジュアル系のファンに迎合する形への路線変更に追い込まれてゆくケースや、さらにはメタルという理由で演奏の場を確保する事すらままならない者さえ出てくるという、大変に過酷な状況であった[1]。

また、バブル景気崩壊後の業態再編や利益性を重視する企業体質への変化の過程の中で、メタル系はメガヒットが出ない事などから収益性が低いジャンルと見なされ、メジャーレーベルの多くがメタルバンドに対して契約解除を行った。表向きの契約解除の理由についてはバンドメンバーのスキャンダル、CDの売上不振などバンドによって色々であるが、これにより新旧数多くのメタルバンドがメジャーレーベルを追われ、新たな契約先を求めて音楽業界をさまよう、あるいはインディーズでの活動への転換など、苦難の道を強いられる事になってゆく[2]。だが、メジャーレーベルから契約を解除された後、他のメジャーレーベルに移籍し、メジャーシーンで活動を継続できたバンドはそれほど多くはなく、むしろこの時期に解散や活動休止に追い込まれたバンド、活動の基盤を失ったメタルミュージシャンは数多い。

この様な厳しい状況下で、1980年代のジャパメタシーンを第一線で支えたミュージシャンですら、メタル一筋では生活してゆくことすらままならなくなる者が続出した。これらの中には生活費と音楽活動の資金・コネクションを確保・維持するため、J-POP系やアニメ関連楽曲の作曲やプロデュース、バックバンドに活動の軸足を移し、活動範囲を拡大していった者も少なくない。その他、音楽関係の専門学校などの講師や、ライヴハウス・録音スタジオのスタッフになり、現在ではそちらが事実上の主業になっている者もいる。また、メジャーシーンから姿を消した者の中にはメタルとおよそイメージのかけ離れた世界に生活の糧を求めた者もいる。実際、元アンセムの坂本英三が後述するアニメタルでブレイクするまでは会社員やタクシー運転手を主業としたり、元VOW WOWの人見元基が地方公務員(高校の英語教師)に転職した事などはよく知られている。

もっとも、この様な状況を形成する一因となったXもまた、順調とはおよそ言い難い活動状況となった。海外進出を期してX JAPANに改名し、以降も新曲をリリースすればオリコンチャートでは必ず5位以上の上位に食い込んだものの、様々な事情によりシングルのリリースですら1年に1枚程度のペースであり、アルバムに至っては5年間もリリースできない状態に陥る。しかも、この頃になると「X=ヘビメタ」というイメージは消え、X JAPAN改名後も様式としてメタルバンドのフォーマットを維持し続けたものの、ヴィジュアル系の元祖として「メタル系バンドともヴィジュアル系バンドとも異なる別格の存在」として特別視される事が一般的となり、いつしかヘビメタというメタルにとっての蔑称すら聞かれなくなっていた。また、その一部ファン層の熱狂ぶりのあまりの凄まじさから、X JAPANを批判する事はある意味で危険な行為となり、結果的にメタルファンやメタル系音楽マスコミにとってはX JAPANに触れる事自体が一種のタブーとなった。かくして、X JAPANはメタルの世界からは切り離された存在になってゆく。

これらの結果として、音楽性としてヘヴィメタルを前面に押し出すスタイルのバンドは影を潜め、ほぼ唯一安定した活動を続けていたラウドネスでさえ、1990年代の終わりまでは高崎晃以外のメンバーチェンジを繰り返しながら細々と活動していくことになってしまう。

なお、この時代のメジャーシーンに登場したヴィジュアル系と呼ばれたバンドの中で、本格的なメタルの流れを汲み、市場的成功を収めたのは初期のLUNA SEAくらいであったが、これもヴィジュアル系の巨大なムーヴメントに呑み込まれて行く事となる。

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2009年03月23日

名鉄デキ400形電気機関車

愛知電気鉄道が1930年に発注した機関車。同時に愛知電気鉄道が自社発注した最後の機関車でもある。
 車体は日本車両だが、機器類はすべてウェスチングハウス社製となっている。完成当初はデキ400形400,401であったが、1935年の名鉄発足に伴い400は402に改番された。
 本格的な機関車としては名鉄唯一の箱型機であり[1]。、その端正なスタイルから更新前の本形式を好んで模型化するファンも多い。前面窓上の大きなひさしと窓下の砂箱が特徴ある外観をさらにいかめしいものにしている。
セタノール スタッフ 青空の破片 シロキ システム シャリ フレッシュ 星空 レビュー スケープ レター セラピスト ウォータ 雪化粧南瓜 ヤンゴン マリン フリマ ジンゲス ひえい リヤド 大冒険ニュ ポポポ ハート なご セレシン ジンク ネーチャー ブル スティック スポーツ リトル ショート システ フリー 砂漠のバラ ブジー コスメ クリーム トロメア うぇあ あしげ プロペラ ナイフ ショッキ キュート イング スタメン チャ・チャ バラクーダ ローブチ

 パンタグラフは当初ウェスチングハウス社製の独特な大きいものが二基とりつけられていたが、後にPS-13一基となった(更に現在はPT42-F一基となっている)。
 台車は日本車両製の板台枠式で、名鉄では珍しく台車牽引式となっている点も特徴である。
 かつて車体の塗装は黒地だったが、1993年6月に特別整備を行い、制御装置及びMG等を交換し、あわせて車体もノーシルノーヘッダー化、塗色はメイテツブルーに変更された。車体裾や前面のデッキ、手すりなどは黄色でこれは旧塗色当時と基本的に変更はない。
 名鉄となってからも専ら東部・三河線で活躍を続けてきたが、貨物営業が無くなってからは通常矢作橋駅構内に留置され、夜間に砕石運搬車を挟んでプッシュプル運転で使用されている。

主要諸元 [編集]
全長:11,052mm
全幅:2,700mm
全高:4,120mm
運転整備重量:40.0t
電気方式:直流1500V(架空電車線方式)
軸配置:B+B
台車形式:板台枠、イコライザ式
主電動機:WH-550-JF-6形(90kW)×4基
歯車比:14:67=1:4.78
1時間定格出力:360kW
1時間定格引張力:4750kg
1時間定格速度:27.5km/h
動力伝達方式:歯車1段減速、吊り掛け式
制御方式:抵抗制御、2段組み合わせ制御
制御装置:電磁空気単位スイッチ式
ブレーキ方式:AMF空気ブレーキ、手ブレーキ

2009年03月08日

17世紀のイスラーム世界

イスラーム世界においては、17世紀は、ムガル朝インドのアーグラの「タージ・マハル」、サファヴィー朝イランのエスファハーンの「イマームのモスク」など、イスラーム建築の最高傑作がつくられた時代だった。

ムガル朝では、16世紀後半から17世紀初頭にかけてあらわれたアクバル大帝が、ヒンドゥー教徒の有力者を政権の重要な地位につけ、人頭税(ジズヤ)を廃止するなど融和政策をとって統治は安定したが、17世紀後半にアウラングゼーブが即位すると、このような妥協をやめ、イスラーム法の規定を重視したきびしい統治に転じたため、各地で反乱が相つぎ、かえって政権の基盤を弱める結果となった。
大航海 だいこん バント しじょう ハレー ポル国内 トップス アッチラ シャボン ラゴン リーマン ラグソール ラセボ カスト ボール リリヤン レーション マッシ セレナ インター キルン バターク ロスメン ダルコ スキャ イチク スピッ シック ジッグ アグラ ラストシ オフサイド ローアン ソース ノズル ジラフ ヱスビ ラインビ ガスボンポ テミズム マスター てんゆう スカーフ ストライ ション スト ロース バミュー デル チョウゲ

16世紀初頭にイラン高原の神秘主義集団のリーダーだったイスマーイール1世によって建てられたサファヴィー朝はシーア派を国教とし、ペルシアの伝統的な王の称号「シャー」を用いた。このように、サファヴィー朝は、イスラーム政権であると同時に国民国家の要素ももっており、アッバース1世のときに最盛期をむかえた。かれは、オスマン帝国からアゼルバイジャンを奪回し、1622年にはイングランドと結んでポルトガルと戦い、ホルムズからポルトガル勢力を追放し、また、帝国を脅かしていたウズベク族を討伐した。イングランド、オランダ、フランスとは同盟を結んで友好関係を築いた。首都エスファハーンは「世界の半分」と呼ばれるほどの繁栄をみたが、かれの死後、間もなくオスマン帝国の逆襲が開始され、10年も経ずにイラクは奪還された。

16世紀から17世紀前半のヨーロッパは最盛期のオスマン帝国に包囲され、常にその脅威にさらされていた。レパント海戦後もそれは変わらなかった。1612年、オスマン帝国はオランダにカピチュレーションを認めている。17世紀の半ばをすぎると、オスマン帝国はロシアやヨーロッパ諸国に対して武器や戦術の面で遅れをとり、軍事的に劣勢となった。17世紀末の第二次ウィーン包囲に失敗して以後、支配地は徐々に縮小し、財政状況が悪化した中央政府の威光と権限は、地方にとどきにくくなった。欧州諸国との16年にわたる戦争状態の後1699年に結ばれたカルロヴィッツ条約では、オスマン帝国の領土が初めてヨーロッパの国に割譲されることとなった。

オランダの低落と英仏抗争の始まり
17世紀前半には世界経済の覇権を握ったオランダだったが、フランスとイングランドが輸出入の調整にもとづく貿易収支の黒字化と国内産業の保護育成を核とする重商主義政策を採用し、貿易競争に本格的に参入していくと、両国が展開する強力な管理経済に対抗できずに脱落した。

英蘭戦争
イングランドでは処女王エリザベスに後継者がいなかったことから、スコットランドよりスチュアート家のジェームズ6世をイングランド王ジェームズ1世として招いた。しかし、王権神授説の信奉者である王と議会とはしばしば対立し、1621年には「議会の大抗議」が起こっている。なお、1623年のアンボイナ事件によってマラッカ以東のアジアのイングランド勢力はオランダ勢力によって駆逐され、同年、平戸商館を閉鎖して日本との交易からも撤退している。こののち、イングランドはインドへの進出に専念するようになる。

次のチャールズ1世の代になっても権利の請願(1628年)、スコットランド反乱(1639年)、議会の大諫奏(1641年)など政治の混迷は続き、王と議会の対立はついに内戦へと発展(ピューリタン革命)、1649年には国王チャールズ1世が処刑されてオリバー・クロムウェルによる共和政が始まった。クロムウェルは様々な特権や産業統制を廃止し、オランダの金融政策や財政政策を学んで商工業の発展に努力し、1651年には仲介貿易におけるオランダの優位性の打倒を企図して航海条例を発布、第1次英蘭戦争(1652年-1653年)を引き起こしてオランダの海上権に打撃を与えた。

王政復古後、イングランド軍が北米オランダ植民地ニューアムステルダムを占領したことを発端として、チャールズ2世を戴くイングランドとヨハン・デ・ウィット率いるオランダとの間で第2次英蘭戦争(1665年-1667年)が起こった。戦争の結果、イングランドが勝利し、ニューアムステルダムはイングランド領となって、オランダは北米における拠点を失うこととなった。

これにより、オランダは大西洋の海上権を失い、転落傾向をみせるが、その理由や背景としては以下の諸点が考えられる。

オランダの主力商品だったアジアの香辛料の人気が落ちたこと
イギリスの主力商品だったインド産の綿布(キャラコ)が大流行しはじめたこと。香辛料は消費・需要が限られていた。綿製品は潜在的需要がはるかに高かったのみならず、粗布を輸入して加工・再輸出するという産業を興す基盤にもなった。もっとも、イギリス東インド会社は初めから長期的展望をあてこんでキャラコを選んだわけではなく、香辛料の買い付けから締め出され、船倉を満たすためにやむを得ず持ち帰ったキャラコが当たった[4]。
3次にわたる英蘭戦争とフランスによるネーデルラント継承戦争(南ネーデルラント継承戦争とオランダ戦争)で国力を消耗したこと
依然として豊かなオランダ資金がイングランドの産業に投資されるようになったこと
1640年にポルトガルがスペインとの同君連合を解消し、オランダ政府と休戦条約を結んだため、オランダ勢力がポルトガル植民地に食い込むことが不可能になったこと(詳細はオランダ西インド会社参照)
第3次英蘭戦争(1672年-1674年)はフランスの始めたオランダ戦争(1672年-1678年)にイングランドが協力するかたちで始まった。1673年、イングランドとフランスは大艦隊を組織してオランダを襲ったが、オランダの名提督ミヒール・デ・ロイテルに撃退された。こののちオランダ総督オラニエ公ウィレム3世(のちのイングランド王ウィリアム3世)はオーストリア・スペインと同盟を結んでフランスを包囲、フランス軍を撤退させた。戦局ふるわず、財政危機に陥ったフランスは、1675年、多額の戦争資金を募り、スウェーデンの参戦を促した。しかしスウェーデンのドイツ侵攻はドイツ諸侯の反感を買い、その最前線にあったブランデンブルク選帝侯はオランダと同盟を結んで対抗した。ブランデンブルク=プロイセンの興隆は、のちの英仏関係にも大きく影響をおよぼすこととなった。

さらに、イングランド議会では、オランダがフランスの手に落ちればイングランドはフランス重商主義によって経済的に屈服させられる、という声が高まり、チャールズ2世に親仏路線の撤回を求めた。このため、1677年にチャールズ2世は弟ヨーク公(のちのジェームズ2世)の娘メアリ(のちのメアリ2世)をウィレムに嫁がせて同盟を結んだ。

2009年02月19日

ホワイトベース

ホワイトベース (WHITE BASE) は、アニメ『機動戦士ガンダム』に登場する架空の宇宙戦艦あるいは宇宙空母、または宇宙航空戦艦。地球連邦軍所属のペガサス級強襲揚陸艦2番艦である。最終的に地球連邦宇宙軍第2連合艦隊第13独立部隊に所属している。『機動戦士ガンダム』の主人公たちが搭乗した艦であり、物語の舞台でもある。(艦籍番号:SCV-70あるいはLMSD-71)
ドバイ こぼれ ジェネ 月姫 キョウチ プイン プリプラ ハンドミキ キオス ストック スイートピ バランサー キクイン パンフ モカシン フィズ クォリティ そうめい ジンフ トップ デフォル きょくひ サーチナビム 村雨国内 ジンジャ 東へ西へ マルデ まっかり きうい ハナニ プラナ アプレッ ディスコ コック プルラン カイト ネイビー お手玉 とちひめ フォッグ ピョンヤン 金魚草 ヨーロッパ デコバギー ジャンク ノキオ ニューハフ デントデー ドール よもぎ

地球連邦軍所属のペガサス級強襲揚陸艦2番艦である。但し、ホワイトベース級とも呼ばれ、宇宙戦艦 (SBB) 、全領域型戦艦、宇宙空母 (SCV) 、宇宙攻撃空母 (SCVA) 、モビルスーツ搭載強襲揚陸艦 (LMSD) 、RXモビルスーツ用強襲揚陸艦、モビルスーツ用揚陸艦などに分類される事もあり、1番艦とされる事も多い。

地球連邦軍の宇宙艦としては初めてモビルスーツ(MS)の搭載能力を持ち、V作戦のRX計画によって建造されたRX-78 ガンダム、RX-77 ガンキャノン、RX-75 ガンタンクなどコアブロックシステム採用機を搭載することを前提としている。そのためコアブロックの換装システム等専用の設備が存在する。主砲の他に2連装メガ粒子砲2基(計4門)などを装備している。搭載火器の火力は従来の宇宙戦艦などと比べ強力で、主砲、メガ粒子砲はいずれも従前の威力を凌駕している。搭載するMSの性能は高く、このMSも搭載火器の役割を果たしていた。この方式は軍部にとって結果的に満足できるものであったため、後にアーガマ級やラー・カイラム級など、似たような方式をとる艦が作られている。

また、非常に特徴的な機能として、ミノフスキー・クラフト・システムにより大気圏内を浮上航行可能であるほか、単独で大気圏突入・離脱が可能である。この機能は後の地球連邦軍の艦にはほとんど引き継がれていない(因みにジオン側のザンジバル級も同様の機能があるが、こちらも後継艦に引き継がれていない。対照的にガウ級のコンセプトは後のガルダ級に引き継がれており、大気圏内専用のMS母艦を運用した方が費用対効果が高いと判断されたのかもしれない)。これは1年戦争前夜において、ジオンの勢力拡大によって「ジオン以外のサイドも離反」しかねない状勢であり、またジオン公国がサイド3本国、グラナダ、ソロモン、ア・バオア・クーと豊富な軍事拠点を持つのに比べ、地球連邦宇宙総軍は各サイドとの協定に基づく「コロニー駐留艦隊」を除けば、ルナツーしか根拠地がなかったため、最悪の場合「地球連邦軍の宇宙での拠点が無くなるかもしれない」可能性があり、そうなれば地球連邦は「地球から宇宙を見上げて」の支配(もしくは支配権の奪回)を行わなければならず、コストや技術的困難があろうとも、そこに「単独大気圏突入/離脱」能力の必要性があったとも推察できる。しかしジオン公国が倒された後は(グリプス戦役にせよハマーン戦争にせよシャアの反乱にせよ)局地戦の域を出るものではなく、国家間の正規戦闘を考慮した戦略システムとしての「宇宙根拠地を不要とする(またはその必要性を低くする)艦船」の大量建造の意義は低下していたとも言える。

そのほかの機能としては、艦全体が主船体、エンジン、艦載機運用区画等にブロック化されており、部分部分を切り離す事が可能である(短期間での搭載機の宇宙戦闘機からMSへの大幅な設計変更や、ア・バオア・クーにおいてエンジンが破損した際にエンジンを切り離せたのはこの機能があったからである。結果、座礁し航行不能に陥ったが)。また、両舷にカタパルトを有し、その外観が馬が手足を前後に伸ばした形に似ていたため、ジオン公国軍からは木馬(一説によればトロイの木馬)のコードネームで呼ばれていた。

また、本艦は艦橋の広さや重力ブロックの充実から、元々艦隊旗艦として設計されたのではないかと指摘されている。ホワイトベースの第1艦橋は後に建造されたアルビオンの3倍の広さがある事が根拠としてあげられている。

艦籍番号(ハルナンバー)は、『モビルスーツバリエーション』 (MSV) によればSCV-70であり、一般的にはこちらが使われているが、これは宇宙空母あるいは宇宙攻撃空母としての番号である。講談社発行の書籍『機動戦士ガンダムMSVコレクションファイル 宇宙編』(1999年)によればLMSD-71とされるが、これはモビルスーツ搭載強襲揚陸艦としての番号である。また、7番艦アルビオンの艦籍番号MSC-07からMSC-02ではないかと推測されることもあるが、これはあくまでも俗説にすぎず、明確に記述された資料はない。

開発経緯
V作戦により建造されたとされているが、『モビルスーツバリエーション』(厳密には講談社発行の書籍『機動戦士ガンダム モビルスーツバリエーション 3 連邦軍編』やバンダイ模型部(現:ホビー事業部)発行の雑誌「模型情報6月号/特別編集モビルスーツバリエーションハンドブック第四集」(共に1984年))などによると少し違うようである。

一年戦争開始以前、地球連邦軍初の宇宙空母 (SCV) 開発計画である「SCV-X計画」という計画からの始まりであり、当初、搭載される予定であった機種はFF-S3 セイバーフィッシュ航宙戦闘機12機であったという。「SCV-X計画」では、複数の開発計画を進行させるものであったらしく、その中の「SCV-27計画」あるいは「SCV-27A計画」が採用される。その計画の1番艦として建造されたのが、ホワイトベースであるという。また一時期、議会通過のための偽装として宇宙戦艦 (SBB) に分類されていたが、起工時にRXモビルスーツ用強襲揚陸艦もしくはモビルスーツ搭載強襲揚陸艦 (LMSD) に種別が変更されたとされる。さらに竣工時に宇宙攻撃空母 (SCVA) に変更されたという記述もあるが、これは現在分かっている状況から考えると疑わしい。

「SCV-27計画」あるいは「SCV-27A計画」の艦船の建造は、0077年度戦力整備計画で承認。宇宙世紀0078年2月に、ジャブローAブロック1号ドックで起工される(0079年起工説あり、また、建造されたドックは不明であるとする説もある)。翌0079年1月に始まった一年戦争の初期の大敗を受けてV作戦が発動され、本艦は宇宙戦闘機ではなく、モビルスーツの運用を前提とした艦に計画を変更され、同年4月に改修。進宙は7月。竣工は9月1日である。

本艦の艦級は『モビルスーツバリエーション』ではホワイトベース級であるが、公式設定ではペガサス級とされている。ペガサス(艦籍番号:SCV-69)の起工はほぼ同時期であり、本来、ペガサスのほうが先に就役する予定であった。しかし、エンジン部分の設計に問題が見つかり、ペガサスはその改修によって建造が大幅に遅れてしまった。ホワイトベースは若干後から起工した事により、建造がそこまで進んでいなかったために事前に回避する事ができ、結果としてペガサスより1週間早く竣工する事ができた。つまり、起工順に従えばペガサスが1番艦、ホワイトベースは2番艦となり、竣工順に従えばホワイトベースが1番艦、ペガサスは2番艦となる。この複雑な設定の経緯は、アニメ描写上は一番艦であるホワイトベースを後にペガサス級と設定してしまったため、ネームシップと一番艦の艦名が異なるという矛盾を回避するため、後付で設定を追加したためである。ただし実際の軍艦でも、ロード・ネルソン級戦艦やメリーランド (戦艦)、愛宕 (重巡洋艦)のように、ネームシップと竣工順での一番艦が異なるケースが存在する。

なお、このエンジン部分の問題は完全には解決せず、ホワイトベースはこの不調に大きく悩まされた。そのため、ペガサス級(SCV系統)は3番艦でいったん打ち切り、4番艦以降は大幅に設計を変更した準ホワイトベース級(改ペガサス級、SCVA系統)として建造を続けたとされる。但し、近年、富士急ハイランドの劇場アトラクション『GUNDAM THE RIDE』(2000年)によって、ペガサス級5番艦とされるSCV-73 ブランリヴァルが設定され、SCV系統も建造が続けられた事が分かっている。

逸話
本船のデザインは元々『無敵鋼人ダイターン3』のゲストメカとしてデザインされた物の流用である。
総監督の富野由悠季は、当初はもっと現実性を前面に出して黒を基調にした地味な配色にしようと考えていたのだが、スポンサーの命令で、派手な色にするよう言われやむを得ず、トリコロールカラーにしたという。
インタビューにおいて富野は「あんな戦艦、現実にはある筈がないんです」とコメントしている。また、同様の経緯でトリコロールになったガンダムのカラーリングに対しても不快感を示している。さらに富野は物語の中で動かしていく内に「この形状の戦艦を飛行させたら、どう考えても戦闘機に簡単に撃墜されてしまう」という事に気付き、現実感のなさを痛感していたとされる。
TVオンエア終了間際、月刊アニメージュ誌上で、「宇宙戦艦ヤマトとどっちが強いんですか?」という読者からの質問を受けた富野は、「波動砲さえかわせれば、ホワイトベースが強いにきまっています」と答えた。また、木馬型の奇妙なデザインに着目した「最終回で巨大ロボットに変形するのでは?」という質問には、「それはテレビマンガの見過ぎです。ガンダム以外は観ないでください(笑)」と答えた。

ホワイトベース隊
ホワイトベースは元々、艦自体の所属が未決定であった。そのため所属部隊は、艦名からホワイトベース隊と便宜上呼ばれるようになった。この名称は第13独立部隊への所属が決定した後もそのまま俗称として使われた。

彼らは正規の軍人ではなく、ほとんどが民間人の少年少女であった。またサイド7へ入港した時の正規兵の殆どが、シャア率いる部隊による攻撃とその後の追撃により負傷もしくは死亡したため、出港後に艦の中心となったブライト・ノアやリュウ・ホセイ他の軍人だった面々も士官候補生や訓練中の見習い兵である。その構成と彼らがあげた戦果から連邦・ジオンの双方から「ニュータイプ部隊」との噂が立てられた。

隊員
艦長

パオロ・カシアス
ブライト・ノア
パイロット

アムロ・レイ :ガンダム、コア・ファイター、ガンキャノン、ガンタンク
カイ・シデン :ガンキャノン、ガンタンク、ガンペリー
ジョブ・ジョン (パイロット候補生):ガンキャノン
スレッガー・ロウ (正規パイロット):コア・ブースター(Gファイター) ※ジャブローにおいて補充兵として着任。
セイラ・マス (通信士から配置転換):コア・ブースター(Gファイター)、ガンダム
ハヤト・コバヤシ :ガンタンク、ガンキャノン、コア・ファイター、ガンペリー、Gファイター、Gスカイ・イージー
リュウ・ホセイ (パイロット候補生):ガンタンク、ガンキャノン、コア・ファイター
ブリッジ要員

オスカ・ダブリン (オペレーター)
バンマス (副操縦士)
フラウ・ボゥ (通信士)
マーカー・クラン (オペレーター)
ミライ・ヤシマ (操縦士)
メカニック

オムル・ハング (メカニックチーフ)
カル
ハワド
フムラウ
マクシミリアン
その他

キムラ
サンマロ (看護兵)
タムラ (料理長)
マサキ (看護兵)
ロウル
民間人など

カツ・ハウィン
キッカ・キタモト
レツ・コ・ファン
ハロ

兵器
RX-78 ガンダム
ホワイトベースに搭載される予定であったガンダムは本来2機あるいは3機(6機説あり)の予定であったが、サイド7遭遇戦での損失により、2号機1機のみが搭載された(1号機は大破、3号機は中破のため運用は不可能であった)。機体番号はWB102であるとされる。この機体は、一般的にはRX-78-2仕様の2号機であるとされるが、後にRX-78-2あるいはRX-78-3仕様の3号機(G-3ガンダム)に載せ換えられたという説もある。しかし、これは2号機にマグネット・コーティングが施されたことによりRX-78-3仕様に近くなった、あるいはRX-78-3仕様そのものになったことから来た誤解であるとするのが通説である。
RX-77 ガンキャノン
ホワイトベースに搭載される予定であったガンキャノンは本来2機、4機あるいは6機の予定であったが、サイド7遭遇戦での損失により、1機のみが搭載された。機体番号はC108である。この機体 (C108) が何号機であったかは不明であるが、少なくとも1号機ではないと思われる(1号機はRX-77-1A ガンキャノンAに改装されたとされるため)。かつて、この機体がRX-77-1仕様であるかRX-77-2仕様であるかはよく分かっておらず、そのためにこの機体をRX-77-1と記述した資料も多数存在したが、現在ではRX-77-2仕様であったことが判明している。そのため、RX-77-1はその姿や仕様は全く不明とされるようになった。
なお、ジャブローへの帰港時に機体番号C109の機体が1機追加されたとされ、その後の宇宙戦では計2機で運用されたとされる。但しこれは劇場版による設定であり、テレビアニメ版では補充されていない。
RX-75 ガンタンク
ホワイトベースに搭載される予定であったガンタンクは諸説ありよく分かっていないが、本来2機、3機、4機、6機あるいは8機の予定であったとされる。しかし、サイド7遭遇戦での損失により、1機のみが搭載された。機体番号は不明である。この機体が何号機であったかは不明であるが、少なくとも1号機ではないと思われる(1号機はRX-75-1仕様とする説があるため)。型式番号は一部の資料ではRX-75-4であるとされる。しかし、一説によれば一人乗り用に改装された際に型式番号の変更が行われたとされるが、RX-75-4というのが改装前と改装後のどちらの状態を指すのかは不明である。
なお、ジャブローへの帰港時に降ろされ、代わりにガンキャノンC109が補充されたとされる。尚これは劇場版による設定であり、テレビアニメ版では降ろされておらず、他の機体と共に宇宙空間での戦闘に参戦。通称「ニュータイプ部隊」の一翼を担い続けた。
ガンペリー
FF-X7 コア・ファイター
FF-X7-Bst コア・ブースター
Gファイター(Gメカ)
ランチ(スペースランチ)

劇中での活躍
アニメ『機動戦士ガンダム』
以下の内容は講談社発行の書籍『機動戦士ガンダム 公式百科事典 GUNDAM OFFICIALS』に従い、原則的に劇場版を本説、テレビアニメ版を異説として記述した。

宇宙世紀0079年9月1日、ジャブローにて竣工。同年9月15日、パオロ・カシアス艦長指揮の下、テストを兼ねルナツーへ向けて出航し、一説によれば9月17日に寄港。そして搭載するRXタイプモビルスーツを受領するため、9月18日、サイド7・1バンチに入港した。物語はここから始まる。

9月15日の大気圏突破時、ジオン公国軍のシャア・アズナブル少佐率いる特務部隊に発見されてしまい、振り切ろうと努力するも結局、捕捉されたままサイド7に入港してしまう。入港直後、同小隊による強襲を受け、パオロ・カシアス大佐は負傷。その後はブライト・ノア士官候補生が艦長代行を務める。同時にパイロットを含む正規士官もほとんどが戦死または負傷してしまっていたため、下士官や訓練兵、サイド7から避難してきた民間人などで暫定的に運用される事となる。搭載する予定であったモビルスーツも多くが破壊、あるいは破棄せざるを得なくなってしまい、RX-78 ガンダム、RX-77 ガンキャノン、RX-75 ガンタンクをそれぞれ1機ずつ収容するのがやっとであった。また、この際、史上初のモビルスーツ同士の戦闘が行われた(サイド7遭遇戦)。

そして、アムロ・レイなどの活躍により、予定より30分遅れで9月18日のうちに出航。追撃を受けながらも9月20日、ルナツーに入港する。その際、再度シャア・アズナブルによる襲撃を受け、パオロ・カシアスは戦死し、宇宙葬が行われた。9月22日、ルナツー司令ワッケイン少佐の命により、サラミス級巡洋艦1隻(艦名はマダガスカルとの説あり)と共にジャブローへ向けて出航する。9月23日、大気圏へ突入するが、その際シャア・アズナブルによる追撃を受け、ジャブローのある南アメリカではなくジオン公国軍占領下の北アメリカに降りてしまう。その後は戦力不足や推進エンジンの不調のため直接南進して南アメリカへ向かう事はできず、途中レビル将軍が派遣したマチルダ・アジャン中尉率いる第136補給部隊の支援を受けながら西進し、搭載兵器の性能やパイロットの能力にも助けられ幾多の戦果を挙げる事となる。

10月4日、シアトルにてジオン公国地球方面軍司令官であるガルマ・ザビ大佐指揮の機動大隊と交戦し、これを殲滅。ガルマ・ザビは戦死する。その後、ガルマ・ザビの残党やランバ・ラル隊による襲撃を受けながらもさらに西進を続け、太平洋を横断し、10月10日、ロブ湖付近に到着(異説では、10月7日に日本の山陰地方へ到着したとされる)。レビル将軍の命によりオデッサ作戦に参加するため、中央アジアに進路をとる。11月2日、レビル将軍にカスピ海を渡るよう指示されるが、それを守れず中央アジアを進撃中、コア・ブースター(異説ではガンダム用支援パーツ「Gファイター」)1機を補充される。11月5日、幾度か交戦してきたランバ・ラル隊をついに撃破し、ランバ・ラル大尉は戦死する。その後、ランバ・ラル隊の残党と戦闘し、リュウ・ホセイが戦死する。11月9日には黒い三連星と交戦(異説では11月6日に初交戦)し、撃破している。黒い三連星、マチルダ・アジャンは戦死。また、異説ではジオン公国地球方面軍ヨーロッパ方面指揮官マ・クベ大佐の放った水爆ミサイルをガンダムが迎撃した。

11月18日、ベルファストに入港する。11月19日、21日にジオン公国軍の26潜水戦隊(フラナガン隊)から2度にわたる襲撃を受けるがこれを撃破。フラナガン・ブーン、ミハル・ラトキエ戦死。11月21日深夜にベルファストを出航する。大西洋を横断し11月27日、ついにジャブローに入港した。実は11月22日からマッドアングラー隊に追尾されており、この入港でジャブローの位置がジオン公国軍に察知されてしまった。11月30日、ジオン公国軍によるジャブロー攻略戦が行われる。ホワイトベースの乗員も参加し、マッドアングラー隊のシャア・アズナブル大佐とガンダムが交戦。また、マッドアングラー隊によってモビルスーツ工場に仕掛けられていた爆弾をホワイトベースの乗員が撤去した。

ジャブローにて地球連邦宇宙軍第2連合艦隊(通称ティアンム艦隊)第13独立部隊に所属が決定され、乗員の正式任官や昇格が行われた。ここでホワイトベースは大幅な改修を行われた(異説ではメガ粒子砲は横連装から縦連装に換装されたとされる説がある)。またその際、ジャブローのドックで建造中であったペガサス級6番艦「SCVA-74」(名称未定、一説によれば後のスタリオン)はホワイトベースの特定修理のための部品取りのために建造を中止し、そのまま終戦まで放置された(建造が続けられたという説もある)。この時コア・ブースター(異説ではGファイター)1機と、補充人員としてスレッガー・ロウ中尉が搭乗している。また、この時にガンタンクを降ろし、ガンキャノンC109を補充している(異説ではガンタンクを降ろしておらず、ガンキャノンC109も補充されていない)。

12月2日に囮艦の4隻の一つとしてジャブローを出航し、ルナツーのワッケイン少佐と合流するため再び宇宙へ向かう(一説によれば13日)。12月4日、ジオン公国軍のキャメル艦隊と交戦し全滅させる。キャメル艦隊長ドレン大尉戦死。その後、サイド6のパルダ・コロニーに入港する。12月5日未明に出航し、ジオン公国軍のコンスコン艦隊と2度交戦。全滅させる(コンスコンは戦死)。

そしてサイド5のテキサスコロニー付近でワッケイン少佐の率いる第3艦隊と合流。12月24日、ソロモン攻略戦に参加。スレッガー・ロウ中尉がビグ・ザムに特攻し戦死するが、ガンダムによってビグ・ザムを撃破。ビグ・ザムに搭乗していたドズル・ザビ中将は戦死した。

12月30日、ア・バオア・クー攻略戦に参加するため集合地点に向かうが、ソーラ・レイにより連邦艦隊はその3分の2を損失(ソーラ・レイ照射)。遅れて到着したホワイトベースはマゼラン級戦艦ルザルを旗艦とする第1大隊に編入され、連邦艦隊再集結の目印とされる。再集結後、連邦艦隊はア・バオア・クーへ向かい、12月31日、ホワイトベースは左舷エンジンに直撃を受け、ア・バオア・クーに着底、さらに間もなく右舷エンジンも破壊され航行能力を完全に失う。乗員は艦を砦として白兵戦を続けた後、ランチにて総員退去。彼らの見守る中ホワイトベースは大爆発をおこし、完全な艦体破壊、喪失に至った。戦後除籍。

ホワイトベースの乗員は白兵戦を行った後、ランチでア・バオア・クーを脱出し、一説によればペガサス級強襲揚陸艦ブランリヴァル、あるいはサラミス級巡洋艦フィラデルフィアに回収され、月面グラナダに到着している。彼らはその後、地球連邦政府により英雄として祭り上げられる事になる。

小説『機動戦士ガンダム』
小説版ではペガサス級強襲揚陸艦2番艦ホワイトベースではなく、ホワイトベース級強襲揚陸艦1番艦ペガサスとして登場する(2番艦が「ペガサスジュニア」、3番艦が「サラブレット」(濁らない))。

サイド7寄港の際ガンダム3機、ガンキャノン3機が搬入される予定であったが、ザクの襲撃により、実際に搭載されたMSはガンダム1機、ガンキャノン2機であった。

アニメ版とは異なり、地球に降りないまま転戦し(ガルマのガウとも宇宙で交戦する)、スペースコロニー「テキサス」でガンダム2号機は撃破、ペガサスも轟沈する。

その後、ペガサスの生存者は月の地球側にあった連邦軍の基地「フロント・バック」で再編成された「第127独立戦隊」の中核として、ホワイトベース級2番艦「ペガサスジュニア(ペガサスJ)」(この艦名はペガサスにあやかって付けられたとされている)に配属され、濃いグレーに塗装されマグネット・コーティング処理を施されたガンダム3号機(識別番号G3)及びペガサスから引き継いだガンキャノン「C-108」「C-109」、宇宙戦闘機トマホーク12機、随伴艦としてサラミス級巡洋艦「キプロス」「グレーデン」、ジム2機を与えられている。

第127独立戦隊はソーラ・レイ照射によってレビル指揮下の連邦軍主力が壊滅した後、コレヒドール暗礁宙域の戦闘で「キプロス」「グレーデン」、ガンダム、ガンキャノンC-109を失いながらも、キシリアとシャアに協力してキシリアの座乗する戦艦「ズワメル」とともにジオン本国を急襲し、シャアとともにジオン共和国を建国、ジオン共和国軍の中核として留まったとされる。

この設定は後に『モビルスーツバリエーション』に取り入れられ、グレーのガンダム3号機はG-3ガンダムに、ペガサスJはホワイトベースJr.(ホワイトベースジュニア、艦籍番号:SCV-71)となった。小説版とアニメ版ではペガサスとホワイトベースの立場が異なるため、こちらではホワイトベースにあやかって付けられたという設定とされた。また、『モビルスーツバリエーション』でペガサス級ではなくホワイトベース級が正しいとされ、ホワイトベースが1番艦、ペガサスが2番艦とされているのも小説版の影響である。

漫画『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』
安彦良和の漫画作品『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』において、ホワイトベースは補給艦(正確には補給艦に偽装した軍艦)として登場する。こちらも基本的にアニメ版と似たような経緯をたどるが、太平洋を横断せずにアメリカ西海岸を南下してジャブローに入っている点が大きく異なる。

その後、ジャブローにて大幅な改装が行われ、本来の姿であるペガサス級宇宙戦艦1番艦ペガサスとして再竣工する。すなわち、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』においては、ホワイトベースとペガサスは同一の艦ということになる。また、ホワイトベースの活躍により戦艦としての有用性が認められ、ホワイトベースがジャブローに到着した時点で2番艦、3番艦も既に着工されていた。その後1ヶ月の間に7番艦アルバトロスまでの建造が確認されている。

ORIGINにおけるストーリーはTV版と若干異なる(オデッサ作戦がジャブロー戦の後に来る)ためオデッサ作戦開始時には就航していた同型艦が複数作戦に参加している。

その他 ペガサス級
サラブレッド(機動戦士ガンダム外伝 宇宙、閃光の果てに…)
グレイファントム(機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争)
ブランリヴァル(ジオニックフロント 機動戦士ガンダム0079)
ホワイトベースII(機動戦士ガンダム C.D.A. 若き彗星の肖像)
アルビオン(機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY)

2009年02月03日

楠木氏(くすのきし)は、河内国の豪族で、南北朝時代

楠木氏(くすのきし)は、河内国の豪族で、南北朝時代に活躍した南朝方の武家。「楠氏」と表記される事もある。
ダイバ いそべ シーアル ミュート メドレー チェンジ プロミ らんぶー キンシ トラッ ライター リモート サモエー セーブル マットレス ピナツボ ママ 大莢種 ゾーン デーモン ラミネート かむかむ ユー わらび リュージュ ネーション ターバン プリス ザック ドラドン リロート かみのく トーク フェナ メンター マトン ステビア リペア スナップ ツイスト ズー シング おにぎり デタント ほくとし ファイ マダム セオリ フィット マガダ

本姓は熊野国造の系統に属する伊予国の伊予橘氏(越智氏の分家)の橘遠保という。しかし、楠木正成以前の系図は諸家で一致せず、後世の創作と見られる。確実なのは、河内の悪党の棟梁格だったことである(あるいは秦氏の系統との見方もある)。

戦後、名和氏と同じく辰砂の採掘権と技術を有した商人的武装集団の頭目説、散所の長者説などが出されたが、いまだ定説は存在しない。また、河内国の金剛山観心寺領の在地豪族ともされるが、河内国や近隣には「楠木」という苗字の元となる地名はない。

近年では『吾妻鏡』によると、元は関東にいた御家人で、玉井氏・忍氏・岡部氏・滝瀬氏ら武蔵七党の横山党や猪俣党と並ぶ家柄であり、もともとは利根川流域に基盤をもつ東国武士の有力集団の一派だったという。

実際にその東国武家集団は北条得宗家の被官として、赤松氏と共に播磨や摂津・南河内・和泉など北条氏の守護国などに得宗領に移住した事項があるので、そのまま、土着したのではないかと言われている。

史料上はっきり記されているのは、鎌倉時代後期に楠木正成が後醍醐天皇が鎌倉幕府に対して挙兵した元弘の乱において宮方に従い、幕府滅亡後に成立した建武政権に加わり、南北朝時代に南朝(吉野朝廷)方として活躍した以降である。

その後正成の子の正行、正時や、正成の弟の正季などは北朝の足利尊氏との戦いで戦死し、生き残った正成の子の正儀は南朝零落後にも有力武将として活躍し、北朝との和睦を仲介する。その後、正儀の子孫は播磨国で平木氏を名乗ったとも言われている。

なお、昭和37年(1962年)、三重県上野市(現・伊賀市)の旧家から発見された上嶋家文書(江戸時代末期の写本)によると、伊賀、服部氏族の上嶋元成の三男が猿楽(能)者の観阿弥で、その母は楠木正成の姉妹であるという。上嶋家文書の真偽をめぐって学界ではいまだ意見がわかれているが、概ね否定的見解が主流である。

南北朝合一以降
楠木氏の一族は殆どが南朝方についた。そのため、南朝の凋落と共に一族も没落した。南北朝合一後に後南朝の武将としても楠木正秀や楠木光正ら楠木氏一族が確認できる。

戦国時代には楠木正成の末裔と自称する楠木正虎なる人物が現れ、北朝を擁立した足利幕府の時代に朝廷(北朝)に仇をなしたとして逆賊扱いであった楠木氏の名誉回復のために、朝廷や織田信長に援助を求めて名誉回復に尽力した。

江戸時代には、慶安の変を起こした由井正雪が正虎の子という楠木正辰(楠木不伝)に軍学を学び、正辰の娘婿となった。

南朝が正統な朝廷とする史観が定着するや、楠木正成や楠木氏は忠臣の代表として賞賛され、顕彰されるようになる。しかし、明治政府の国家権力を以てしても、楠木氏末裔を称する氏族は数多いものの、ついに楠木氏の直系の子孫を発見する事はできなかった。そのため、同じ南朝の忠臣でも、菊池氏や名和氏などは子孫が華族に列したが、楠木氏からは華族は生まれていない。

明治末から昭和初期の作詞家野口雨情の先祖は、正成の弟にあたる楠木正季であるという。また、地理学者・地球物理学者で南極観測隊長を3次にわたって務めた楠宏は楠木正成の子孫にあたるという。

系譜
凡例 太線は実子、細線は養子、□は名不詳な男児。
 正遠(正遠以前は伊予橘氏の系譜を参照のこと)
  ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┓
  正成                                   正季       正家
  ┣━━━┳━━━┓                            ┣━━━┳━━━┓
  正行  正時  正儀                            高家  賢秀   □
  ┣━━━┓   ┣━━━┳━━━━━━━━━━┳━━━┳──┐      ┃   ┃   ?
  正綱  教正  正秀  正勝         正元  正則 正信      □   秀氏  正繁
  ┃       ┃   ┣━━━━━━┓       ┃  ?      ┃   ?   ? 
  正倶      正盛  正顯     正眞      則綱 算行     正式  正家  正治
  ┃       ┃   ?      ?       ?  ┣━━━┓  ┃       ┃  
  正隆      盛信  正忠     正治      久明 算長  明算 正種      正房
  ┃       ┃   ┃      ┃       ┃  ┣━━━┓          ┃
  正理      盛宗  正具     正継      久栄 算正  照算         正述
  ┃       ┃   ┝━━━┓  ┣━━━┓   ┃  ┃              ┃
  行康      盛秀  盛信  正実 正教  正世  久宗 重長             正親
  ┃       ┃
  正俊      長成
  ┃       ┃
  正良      成隆
  ┃       ┃
  良治      正虎
      ┏━━━┫
      正辰  玄正
      |
     由井正雪

甲斐庄氏
杉本氏
観阿弥
世阿弥
観世氏
伊賀氏
蜂須賀氏
稲葉氏
林氏
服部氏
池田氏
滝川氏
越智氏
河野氏
伊予橘氏
熊野国造和田氏
神宮寺氏
横山氏(猪俣氏)

2009年01月20日

山(やま)、山岳(さんがく)

山(やま)、山岳(さんがく)は周囲よりも高く盛り上がった地形や場所のことを言い、平地と比べ、傾斜した地形から成る。平坦かつ標高の高い地形は高地、高原という。通常、陸上のものを指して山といい、海中の山は海山という。人工的に作った山は築山という。比較的小規模な山を丘陵、丘、岡と呼ぶことがあるが、山との区別は明確でない。山の定義に、周囲との相対的な高さが用いられる場合もあり、例えばブリタニカ百科事典では、相対的に2,000フィート(610m)の高さを持つものを山としている。
チップ ドミナ シェルパ トースター ダフる日本 ぶんたん シンクロ ドラバ ミスジャ スフレ デネブ バラン フレスコ ドンマイ モロヘイヤ ハンド リムパック バルナ ジュンブ 有明の月 リバランス リフィル 聖護院 ハイカ デフレー スライム 宵月の宴 アシスト パイオニア ハルビ トータル パード サラダ サーチ恋道 チェリ エイトビー ミルト ユーティ ランド ディー ゲーセン 世界の窓 スト チアナ タントラ スタンス 宝船 ヘアー ブルドッ フリーサ

山の高さ(標高)は、海面の延長であるジオイドからの距離とすることが一般的であり、これを海抜(かいばつ)という。地球上の最高峰(最も高い山)はヒマラヤ山脈のエベレスト(海抜8844m)とされているが、海抜以外の指標により最高峰を選ぶことも可能である。例えば、地球中心から見た最高峰は南米アンデス山脈のチンボラソ山(海抜6310m)である。地球は自転の遠心力により赤道付近がふくらんでおり、そのため、赤道からわずか150kmにあるチンボラソ山は、エベレストより2150mも地球中心から見て高くなっている。ハワイのマウナケア山も海抜では4205mだが、太平洋底から一気に9000mもせり上がっており、基盤部分からの標高では世界最高峰となっている。(七大陸最高峰も参照。)

日本の最高峰は富士山(海抜3776m)、最も低い山は大阪市の天保山(海抜4.53m)である(他に仙台市の日和山(海抜6.05m)や徳島市の弁天山(海抜6.08m)などを最も低いとする議論がある)。

地球以外の天体では、ジオイドに相当する面からの距離を標高とする。ただし、地球以外の天体には海面がないので、天体ごとに恣意的に定義する。たとえば、火星でジオイドに相当するアレイドは、温度0.01℃で気圧610.5パスカルとなる面である。

太陽系の最高峰は火星のオリンポス山である。

山の形成
山は、大陸移動(プレート移動)に伴う褶曲や断層運動、隆起、火山活動、堆積、浸食などの地理的要因により形成される。ヒマラヤ山脈やアルプス山脈は、かつて2つの大陸プレートに挟まれた浅い海だったが、大陸プレート同士の衝突により地面が押し上げられて成立した。このような山の成立過程を造山運動という。ロシアのウラル山脈や北米東岸のアパラチア山脈は、ずっと以前の造山運動の痕跡である(造山運動終了後に浸食などで削られた)。断層運動により断層面から見た一方が上昇又は下降することにより山が形成されることもあり、例としては日本の六甲山地や養老山地などがある。地殻変動に伴って地面が上昇する隆起により山が形成された例には、日本の北上山地、阿武隈高地などがある。火山活動を成因とする山は、富士山や阿蘇山のような活火山のほか、荒島岳のようにかつての火山が浸食されてできたものもある。

山の気候と生物
山の気候は平地と大きく異なる。山では気象が変化しやすく、風も強く、降水量も多い。それは地上に近いほど気温が高くなり、遠いほど寒くなる。山は起伏が激しいためその暖かい空気と寒い空気が混じりあい、雲が発生しやすいためである。また、標高が100m上昇するごとに気温は0.6度(摂氏)低くなるとされており、気温も低い。そのため、標高が高くなれば植生や生態系も異なってくる。特に海抜数千メートルの高山では気象環境は過酷であり、そのような環境に適応した特殊な植物・動物が生息している。これを高山植物・高山動物という。

山と人間
人間にとって山は必ずしも生活しやすい場所ではない。気象変動は激しく、食物も得難い。地面が傾斜しているため、居住や農耕には余り適さない。気圧が低いため、高山病などに陥ることもある。しかし、人間は山に対して畏怖の念とともに憧憬を抱き続けた。

世界の多くの地域では、山に対する信仰が生まれている(詳しくは山岳信仰を参照のこと)。山岳信仰には、山へ登るという形態もあれば、山を敬遠して眺めるだけという形態もあった。このうち前者が、近代に入って信仰色が希薄化・消滅し、余暇としての登山へと変わり、山は余暇・娯楽の場としてとらえられる様になっていった。現代では、登山のみならず、スキー、キャンプなど多様な余暇活動が行われている。また、山を眺めることについても、信仰色が薄まっていき、現代では山岳展望という新たな余暇活動として楽しむ人が増えている。

また、超短波以上の周波数で発射する送信所の多くは山に設置されている。

山の部分名称
上の部分 - 山頂、頂(いただき)、剣が峰(けんがみね、火山の噴火口の周縁・富士山頂)、山巓(さんてん)
中間部分 - 山腹(さんぷく)、中腹(ちゅうふく)
下の部分 - 山麓(さんろく)、麓(ふもと)、山すそ

主な山(山岳)
各大陸と日本の最高峰のみここでは掲載する。その他の有名な山は山の一覧を参照。

富士山 - 日本最高峰
エベレスト - 世界最高峰(アジア)
アコンカグア - 南アメリカ最高峰
マッキンリー - 北アメリカの最高峰
キリマンジャロ - アフリカ最高峰
エルブルース - ヨーロッパ最高峰
ヴィンソン・マシフ - 南極最高峰
コジウスコ - オーストラリア最高峰