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ドイツ軍が東部戦線で試験運用開始

1942年冬からドイツ軍が東部戦線で試験運用開始、翌年後半より本格運用された7.92mmクルツ弾はソ連軍にも影響を与え、これを参考にN.M.イェリザロフとB.V.セミンが試作した7.62×39mm弾(1945年7月に制式採用)を使うライフルやカービンの開発が始められる。カラシニコフが7.62×39mm弾を使う銃の開発に関係したのは、7.62×39mm口径セミオートマチック・カービン開発プロジェクトからだった。1944年、カラシニコフはセミオートマチック・カービンの開発を始め、1944年から1945年にかけて実射テストが行われた。この段階で、カラシニコフはアメリカのM1ガーランド小銃を参考にしている。しかし、先行するS.G.シモノフのシモノフ・カービンの方が優位にあり、軍制式になりつつあった。そこで、カラシニコフの開発方針は突撃銃(アフトマート)へと向かう。

カラシニコフ突撃銃の機構は、当初ブローバック方式によるものが設計された。しかし、7.62×39mm弾はトカレフ・ピストル弾に比べてはるかに強力で、全長も長い。そのためブローバック方式を採ると、ボルトを重く大型にし、レシーバーも長くしなければならないことにカラシニコフは気付いた。そこで、カラシニコフはガス圧利用のロータリーボルトによるロッキング方式に設計を改める。これは、1944年に彼が開発したセミオートマチック・カービンに用いた方式だった。この設計図の完成には多くに人々が協力した。カラシニコフは、完成した突撃銃の設計図をモスクワに送り、直ちに試作許可が下りた。試作品の製作はフルスピードで進められた。銃のように多数の部品、メカニズムから成る製品を一人で短期間に改良、完成させることは不可能で、この段階でも多くの協力者がカラシニコフを助けた。出来上がったカラシニコフ・モデル1946試作アフトマートは造兵廠の試射場でテストを受けた。テストと改良を幾度も繰り返した後、カラシニコフ銃は試射テスト、部隊テストのため限定生産され支給された。数次にわたる各種テストにより、カラシニコフ突撃銃は次々と改良を加えられ、最終的にカラシニコフ・モデル1947試作アフトマートが作られる。これが、後にアフトマート・カラーシニコヴァ1947、AK-47I型と呼ばれる製品である。

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2008年12月01日 19:44に投稿されたエントリーのページです。

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